労務相談、管理者研修、未払い残業代請求対策なら労務管理センター

インドのご報告

   

9月1日~6日まで、インドのムンバイとチェンナイに行ってきました。愛知中小企業家同友会の有志でつくるアジア共生研究会のメンバーとです。

では、そのご報告をさせていただきます。

ムンバイは、インド人にとっての「ドリームシティ」でした。インド人にどこに行きたいかと尋ねれば、いつかはムンバイに行ってみたいと答えるほど美しい都市でした。海岸には、カップルが溢れていました。

夜明けと共に海岸沿いを散歩したり、ランニングしたりする人が現れ、平和の象徴のような光景でした。インド最大の人口1840万人を抱えるに相応しい風格と治安を保っていました。人間性も北のデリーと比べておたやかで人の話を聞く姿勢がありました。仲間がスーパーで買い物をしたときに、欲しい物を店員さんに尋ねたときに、理解できない日本語をボディランゲージで理解しようとしてくれて、たくさんの別の店員さんを呼んできてくれました。結果、品物はありませんでしたが、その対応に感動しました。

ただ、午前中に訪問したジェトロの本庄さんのお話の中に、インドはスリリングな国だとの言葉を拝聴したときには、自分自身妙に納得をしました。国そのものが中央集権的ではなく、州ごとに州議会、州首相、州大臣が存在し、行政官として知事及び次官等が存在します。ムンバイのあるマハーラーシュトラ州はほぼ日本と同じ人口です。州そのものが一国のような州法、州規則をもっていますので、州首相の権限は絶大です。日本でいう戦国時代のような州ごとの活気がスリリングという言葉に合致していると思いました。

午後にお邪魔したJFE Steel India の浅野社長からは、インド風物詩と題してお話しをうかがいました。その中で、インドは覇権主義ではないという言葉に中国との違いを感じました。パキスタンとの関係上、核兵器を所持しているものの自国を守る以外に使用する気はないとの防衛軍事の考え方も共感できました。仮にパキスタンとの関係が政治上修復できれば、天然ガス等の資源がイランから陸を通して移動できるようになるため、印度僑が中東・アフリカに進出する頻度が増えるとの発言には未来を感じました。

それと、インドではゾロアスター教徒のことを「ペルシアから来た人」という意味でパールスィーと呼んでいるそうです。インドのパールスィーの人口はムンバイに集中しており、結果としてムンバイはパールスィーが中心的な割合を占めているそうです。パールスィーには経済的に豊かで社会的地位の高い人が多い傾向があり、その教徒が行うのが鳥葬とのことです。「ムンバイの沈黙の塔」は高級住宅街マラバール丘の森の中にありますが、円筒型の石積みで造られた塔であり、中は床が斜面になっているそうです。斜面の矩形の窪みに衣服を脱がせた死者を置き、外側から男性、女性、子供という順番に並べられて、死者を安置する窪みには雨水や体液などを流し落とす為の溝が作られており、中央部の井戸に繋がっているそうです。中央部の井戸は白骨化した死体を投げ込む為のものであり、底は木炭と砂の濾過層となっていて、死体の管理をする為に鉄の扉がひとつだけあって、聖域である為、パールスィー以外の出入りは禁じられているそうです。残念ながら、浅野社長のお話だけで、実際にみることはできませんでしたが、火葬である日本との違いに興味を持ちました。

次はチェンナイです。人口は865万人でインド第4の都市です。州は、タミル・ナードウです。ムンバイと比べると商業都市的色合いの街でした。

まずは、昨年デリーでもお世話になった(株)山善の西田さんにお話しを聞きました。デリーに比べると人間味があり、人の話を聞いてくれるという点は、ムンバイとも共通だと感じました。ただ、時間には、おおらかでストレスがたまるとのことでした。8時30分の始業にはまず来ないそうです。8時45分から来だして10時くらいに全員(60人)が揃うとのこと。終業時間の5時30分までは居るそうですが、お昼休みがバラバラで日本との時差を考えた場合の連絡の取り方で叱ることも多々あるとのことでした。コミュニケーションをとろうとしても、食事が違う、お酒は飲まない、カラオケはないとのことで、社員旅行でも女性スタッフは参加できないそうです。根気よく教育を続けていくしかないとおしゃってました。ストレスの解消は、日本人コミュニティでの日本人との会話・食事・限られた店での飲酒だと教えてくれました。

夜は、西田さんも一緒に日本人である秋元さんが経営する「秋平」というお店に行きました。西田さんも2回目の来店とのこと。枝豆、鶏じゃが、餃子、鶏唐揚げ、なぜか牛肉、そして鶏ガララーメンを頂きました。特に、15匹の鳥を入れた煮込んだ鶏ガラスープの秋平ラーメンが絶品でした。インド人には日本円で1200円するラーメンはなかなかリピーターにはなってくれないとのこと。毎日でも食べたくなる味ですので、日本でも開店してくださいと御願いをしてきました。

5日の午前中は、Kosei Minda Aluminum Company LTdの仙石社長と木俣さんにお話しを聞きました。車のタイヤホイールを製造されています。日本企業で豊田市に本社がある光生アルミが70%、インド企業のMindaが30%出資の会社です。Mindaのトップはインド自動車部品業界の会長を務める人物とのことでした。月産75000本を90000本まで伸ばす目標を拝聴し、実際に「傾斜鋳造方式」の工場を見学させていただきました。韓国の自動車メーカーは一般的である「ロープレッシャー方式」を指定してくるため、取引はないが、マイナーであっても独自の当該方式を追求していく方針とのこだわりも拝聴し、日本企業としての誇りを強く感じることができました。

5日の午後は秋元さんが取締役を務めるPolyHose(ホース製造)を見学させていただきました。アメリカのキャタピラーが70% インド企業が30%出資の会社で、アフリカのケニアにも工場があるそうです。インド企業のオーナーは、秋元さんが出店しているお店のビルのオーナーでもあり、元日産のエンジニアであった秋元さんをスカウトしたとのことでした。「ホースは焼き物である」との実感を持つことが出来ました。また、インド人は、肩書きに非常に価値を置く見栄張りなので、労務管理にはその心理を活用しているとのことでした。インド人にまつわる逸話として、秋元さんがチェンナイの日産工場で赴任期間を終えて日本に帰国する際に、50名の現地スタッフが金の指輪をプレゼントしてくれたそうです。秋元さんが感激していると指輪が入っていた箱の上に請求書がついていて、それが残金の日本円で5000円だったらしいです。1万円の指輪を、自分たちでは半分まで出したので、あとは頼むという思いにインド人らしさを感じたとのことでした。

総じて、水煙草を吸ってお酒をのんでいたデリーとは違い、特にチェンナイは、煙草は吸わない、お酒は飲まない、カラオケはないの何が楽しみなのかと思うような街でしたが、楽しみはありました。

「映画」です。ムンバイはインド映画の男優、女優がこぞって住む街とのことですし、チェンナイでも娯楽は映画とのこと。突然、踊り出したり歌ったりのインド映画を思い出して納得した次第です。

インドといえば、衛生面で心配していた国でした。もちらん、水には細心の注意を払いました。歯磨きもペットボトルの水を使いました。カレーも控えました。それでも、ムンバイとチェンナイは想像を超える美しい街でした。ただ、日本人は1700人しかいませんし、観光客もほとんどいません。我々は好奇の目で見られました。目のでかい、鼻の高い、色の黒いインド人から見れば、目の細い、鼻の低い、色の黄色い日本人は得たいの知れない生き物にみえたかもしれません。ただ、両手を合わせて「ありがとう」と日本語で感謝を伝えた時、微笑んでくれたインド人の笑顔は大切な思い出となりました。行ってよかったと思いました。

 

 

 -